皆さん!サケは好きですか??

この時期にになると天然物の

サケが出回りますよねー。

ちゃんちゃん焼きにムニエルに

かす汁に塩焼きにスモークサーモン

といろんな料理にできてワインなど

とも好相性!

今でこそ、サケを川に戻ってくるよう

にする養殖は盛んですがなんと

江戸時代にすでにこの方法の元となる

天然繁殖法』が行われていたのを

ご存じでしたでしょうか?

管理人は知りませんでした(;”∀”)

せいぜい明治くらいに外国から方法が

入ってきたと思ってたんです。

所が今回の『世界ふしぎ発見』にて

なんと江戸時代からあるというではありま

せんか。

これは気になるという事でしらべてみたら

青砥武平治

という通称

サケ侍

の存在が明らかに。

今回はこの青砥武平治

彼の行った種川の制

と村上にある

『いよぼや会館』

についてしらべてみました!

  • サケ侍!青砥武平治って?
  • サケ侍青砥武平治の『種川の制』とは?
  • 青砥武平治ゆかりの地村上の
    いよぼやって?『いよぼや会館』の
    場所や開館時間は?

以上の内容でお送りします!

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サケ侍!青砥武平治って?

普通の生活していたらまず

名前すら知らないであろうお人ですね(笑)

しかし彼がいないと今日のサケの普及は

大幅に遅れていたかもしれませんね。

そんな偉人のプロフィールと経歴を

調べてみました。

青砥武平治プロフィール

  • 名前:青砥武平治
  • 時代: 江戸時代中期
  • 生誕 :正徳3年(1713年)
  • 死没 :天明8年(1788年)
  • 享年:76歳
  • 別名: 綱義
  • 資格:清水流規矩術免許皆伝
  • 主君: 内藤信興→信旭→信凭
  • 藩: 越後村上藩士
  • 氏族: 金沢氏→青砥氏

 

青砥武平治は正徳三年(1713年)に

村上藩士金沢儀左衛門の2男として生を

受けます。

越後の国、岩船郡村上町に生まれます。

現在の村上市ですね。諱は網義。

当時名前コロコロ変わりますが網義が

本当の名前という事でしょう。

さて金沢家に生まれたものの2男で

あった為に幼少の頃に青砥家へ養子へ

出ます。

武士としての位は低く

『三両二人扶持』程度の小物でした。

三両二人扶持の三両とは『蔵米取』という下級武士

の給料の事で、米を換金して年間3両貰える

という意味。2人扶持は自分を含めて二人所帯の

軍役という意味でこの場合は部下一人。

その部下の数に比例して特別手当として米が

一人当たりにつき年間5俵のコメが支給された

そうです。つまりはうだつが上がらなかった

という訳ですねー。。

ちなみに最下層の武士の給料が

『三両1人扶持』・・・ヤバイ!青砥さん

ブービー賞です。

ちなみに『このドさんぴんが!!』

という罵り方の語源はこの『三両一人扶持』

の3と1(ピン)をとって『サンピン』という

こと。つまり下っ端が!!という揶揄に

なってるそうです。

しかしここからが彼のサクセスストーリー。

種川の制という画期的なサケの漁獲高を

あげる方法を藩に提示。

その功績で当時藩として5万石あまりの

小さい藩であった村上藩の中では異例の

70石の『石取侍』に昇格します。

その種川の制とはどういったもの

なんでしょうか?

種川の制については2P目へどうぞ