真田丸、遂に終わってしまいましたね。全国では真田丸ロスが始まっているようです。

http://www.nhk.or.jp/出典

さて、真田丸を通して見ていて思ったのは、やはり史実は変わらない。(みんな結末は知っている)そこをどうアレンジして視聴者をたのしませるか?が非常に上手い。みていて、あー!大蔵卿邪魔!とか!秀頼そこは出陣しろよ!とか思った人多かったと思います(笑)

真田丸作中でも時代考証でやいのやいの楽しんでみている方も多かったと思います。

 

最終回も実はこうだったのではないか?と言うシーンもありました。幸村が家康に馬上筒を放つシーンで、銃を2丁つかっていましたよね?一発撃って一丁銃をすて、もう一丁の新しい銃で家康に迫りました。

実はこの銃、連射できたかもしれないのです(笑)

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戦国時代の連射銃?

http://www.tama-tsukuri.info/出典

こちらは以前テレビ番組の『開運なんでも鑑定団』に出品された逸品。

その名も『馬上宿許筒』といいます。持ち主は40年以上前から真田幸村の関係アイテムを自費で揃える澤田平さん。

氏曰く

幸村は単身、家康の面前に迫り、馬上宿許筒を突き付けた。しかし、狙撃しようとした瞬間、敵兵に攻撃された騎馬が動揺したため、銃を落としてしまう。馬上宿許筒は家康を撃ち損じた銃です

馬上宿許筒は半自動の速射連発銃で、省力化や自動化技術の結晶です。着火装置に改良を重ねて弾倉を付けることで、8発の弾丸を10秒おきに発射できた。    引用thepage.jp

およそ400年前にすでに半自動の連射銃があるなんてびっくりですよね。

夏の陣で落とした銃は紀州徳川家にわたります。その後第二次大戦の戦後のごたごたの中、アメリカの将校の元へ。それを澤田さんが交渉の末買い戻したのだとか。。。グッジョブ!

幸村が狙撃をした証拠文献として『南紀德川史』に記されているそうです。

「器の巧拙今にして論ずるべきに非るも、三百年のむかし既に此器あるは驚嘆に堪へざりし也。宿許銃は真田左衛門が神祖(家康)を狙撃し奉りしものと語れり」

最も、南紀徳川史自体それほど編纂が古いわけではなく1888年~1901年に作られたものなので、口伝も交えての編纂の可能性も否定できないと思いますが、こういった伝承と実物の銃が残っている限りは起こりえたと考えていいのではないでしょうか?その方がロマンあって面白いですし。

蟄居と考えられていた九度山時代実は・・・・気になる情報は2P目へGO!