財田川事件の弁護士矢野伊吉の
判事を辞めた理由がカッコよすぎる!

財田川事件のあらましは上記した

とおりの冤罪事件なのですが

なぜ死刑確定から覆せたのか?

 

矢野伊吉さんはなぜ弁護士になった

のか?それについて紹介します。

 

谷口さんの死刑確定の12年後の

1969年に当時高松地裁の裁判官

であった矢野さんはある手紙を

目にします。

 

それは谷口さんが一審の裁判長に

当てた身の潔白を晴らす手紙。

 

谷口さんが死刑宣告を受けた当時の

裁判官から幾人かかわった後の

裁判官が矢野さんだったのです。

 

もっとも、矢野さんが目にした手紙

も1969年より五年も前の手紙。

 

そこに書かれていた自身の身の潔白

を証明したい思いに心を動かされます。

 

この手紙を正式に再審請求のものと

して受理。

 

その過程で谷口さんの無実を確信する

ものの、周りの裁判官の反対もあって

再審にはいたらなかったそうです。

 

そこで矢野さんは職をとるか人の

命を取るかの選択を迫られます。

 

1970年に高松地方裁判所を退官。

弁護士として谷口さんの弁護人として

再び再審請求を行います。

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しかし、再審請求は

高松地方裁判所では棄却

続いて高等裁判所でも棄却されます。

 

最高裁に特別抗告することになり

ます。

 

特別抗告とは高等裁判所がだした

決定や命令に不服があるときに

行われる手続き。

 

これにより、最高裁では

地裁・高裁の再審査請求棄却

決定は審理不尽の違法があるとして

本件を地裁へ差し戻す事を決定。

 

【財田川事件差し戻し】が

きまります。

捜査段階で検察や警察の

ねつ造を明るみに出したことも

あり、組織として批判されることも

あったのかもしれません。

 

正義の為に組織と一人戦った

ヒーローです。

 

しかし法律は彼に味方しない

部分もあったようで、

高松弁護士会より

【公務員(裁判官)として自分が担当した
事件の弁護士として取り扱う事を禁止する
弁護士法に触れる行為】

として懲戒処分を受けます。

そして1983年、再審中に

矢野さんは無罪の報を聞くことなく

この世をさってしまいます。

 

惜しくも翌年、財田川事件は

冤罪事件として歴史に名を

刻みました。

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まとめ

財田事件は戦後間もない頃に

おきた冤罪事件。

 

一人の弁護士の正義感で

判決が覆った奇跡の

エピソード。

 

右へ倣えで再審をしない

組織からの脱却。

 

自分の地位を捨ててまで

他人の命を救う姿は

法の番人の正しい姿を

見せられる気になります

よね。

 

知らないだけでこんな

凄い人がいたんだと

おもいました。

 

最後までご覧いただき

ありがとうございます!