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こんちは!管理人のハバネロです。

みなさん、熊ってあった事ありますか?

勿論、動物園で。。というのは抜きです。

 

管理人はないんですけど、弟が

大学生の頃に大学の研究で山に入った

時に遭遇した事があるといって

ました。

 

ツキノワグマだったのですが

それでも半端ない恐怖を感じたと

いってたのが印象的ですね。

 

さて、そんな熊ですが1970年に

大きな獣害として報道された事件が

あるのをご存知でしょうか?

 

『福岡大ワンダーフォーゲル部ヒグマ襲撃事件』

として知られるこの事件。

 

ワールド犯罪ミステリーでも紹介

されるようですね。

 

この事件について、概要や何故ひぐまに

襲われてしまったのか、残されたメモに

ついて調べてみました。

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日高ひぐま事件とは?福岡大ワンダーフォーゲル同好会を襲った悲劇

1970年7月、福岡大のワンダーフォーゲル同好会

に所属する大学生5人が日高山脈系の山中にて

ヒグマにおそわれ、内3人が死傷した事件。

 

同好会メンバーは芽室岳から入山し

ペテガリ岳へと縦断を計画していました。

 

計画は中間地点へ差し掛かった辺りで

テントを張り、その日はこの地点で宿泊

する予定だったがそこにヒグマが現れ、

荷物をあさり始めた事から、音を立てて

追い払います。

 

九州にはひぐまはおらず(ツキノワグマはいる)

その認識の甘さから後々命を落とすことに

なります。

 

しかしその後も夜に一度現れ、

テントに穴をあけたり倒したりしたため

交代で見張りを立てるなどをして夜を

過ごしました。

 

そうして明けた次の日の朝にもヒグマが

現れ、装備や食料を守ろうとテントへ

避難します。

 

しかし、ひぐまはテントごと5人を

襲撃。その為にテントを放棄して

五人は逃げ出します。

 

5人の内リーダーともう一人が代表で

下山を決意。

 

途中で同じくひぐまに遭遇したという北海道学園

のパーティと出会い、彼らに救助の要請をお願いします。

そうして残った三人の元へ戻る2人でしたが

 

そのころ残った三人はヒグマの様子を見るべく

襲撃されたテントへ向かいます。

 

するとすでにひぐまの姿はなく、

残った装備と食料を回収。

 

しかしこれが後の地獄を生むことになる

のです。

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合流し下山をする5人をひぐまがおそう

居残った3人はテントから装備品を回収。

いったんその場は危険と判断し離れます。

 

その途中で鳥取大学のパーティと遭遇、

彼らにもひぐまの脅威を伝え警戒をよびかけます。

鳥取大学の学生たちは二キロほど離れた

場所でキャンプをする予定だという。

 

ここで先に救助隊を呼びに戻ったであろう

2人とはぐれない為に、もといたテントへ

いったん戻り、5人は合流。

 

すぐに下山をしたかったが夜のとばりも

降りてきていたのでやむをえず

安全そうな場所にて野営をする事

にします。

 

そして恐怖の時間が始まります。

 

野営中にひぐまが彼らをおそったのです

ひぐまに気がついた5人は鳥取大学のパーティに

助けを求めようと、彼らのいるキャンプ地目指して

移動を試みるのですが、ひぐまは彼らを追いかけて

きます。

 

恐怖でパニックになり、5人は別々に逃げまどい

そのうち2人がこの時行方不明になります。

 

どうにか3人は合流に成功して翌朝まで

岩場に隠れていました。

 

翌朝、鳥取大学のパーティのいるキャンプ地

へ行くのはあきらめ、下山をしようと

下山ルートをたどり下山を始めます。

 

しかし、この朝はひどい霧が辺りを

立ち込め、視界が悪い。

 

その中、急にあのひぐまが彼らの

目の前に現れたのです。

 

パニックになり、一人走り出した人物を

追いかけてひぐまが襲い掛かります。

 

命からがら、残った二人は麓迄下山。

行方不明の3人を100人体制で捜索。

 

3人は残念ながら見るも無残な姿で

発見されました。

 

遺体はすべて損傷激しく、持ち帰ることも

困難なためその場で荼毘に付されたそうです。

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なぜ福岡大のワンダーフォーゲル部はヒグマに襲われ続けたのか?

ひぐまに遭遇したのは福岡大のワンダーフォーゲル

だけではありませんでした。

 

しかしながらなぜ彼らだけ襲われ

続けたのでしょうか?

 

その理由はひぐまが漁った荷物に

執着してしまった事。

 

これが原因だったそうです。

ひぐまの習性として自分の臭いの

ついた獲物を執拗に追うことが

るのだそう。

 

その為、自分の唾液や体臭などが

ついた彼らの装備をめざして

いつまでもついてきた。。。

 

当時は情報も今ほどすぐに得れるもの

でもなく、九州というひぐまのいない

地域に住んでいる彼らとしては

その事実をしらなかった。

 

この事も事故につながった可能性が

高いと思います。

 

また、この時の状況を克明の残したメモが

あります。

 

一人で逃げまどいながらその時の状況を

書き記すことで冷静さを保とうとしたの

でしょうか?

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福岡大ワンダーフォーゲル同好会の残したメモの全文

『河原がやられたようである。

俺もやられると思ってハイ松を横にまく

俺の位置からは下の様子は全然わからなかった

クマの音が聞こえただけである

それから俺は鳥取大学のテントを

のぞいてみると崖の方へ二、

三ヵ所たき火をしていたので

 

下のテントにかくまってもらおうと崖を下る

5分くらい下って下を見ると

20m先にクマがいた

 

俺を見つけると駆け上がってきたので

一目散に逃げ少し崖の上に登る

まだ追っかけてくるので

30cmくらいの石を投げる

失敗である

 

ますます這い上がってくるので

15cmくらいの石を鼻をめがけて投げる

当たった

 

それからクマは10㎝ほど後さがりする

腰を下ろして俺をにらんでいた』

 

ひぐまが様子を見ている隙にどうにか逃げ出し

先の鳥取大学の野営地へつきますが既に

装備を置いて下山していたあとでした。

 

『誰もいなかった。

しまったと思ったが手遅れである

(テントの)中にシュラフがあったので

すぐ1つ取り出し中に入り込み

大きな息を調整する

なぜかシュラフに入っていると

安心感が出てきて落ち着いた』

 

『7月27日。
4時ごろ目が覚める。外のことが気になるが

恐ろしいので8時までテントの中にいることにする

テントの中を見合わすとキャンパンがあったので

 

中を見るとご飯があったこれで少しホッとする

ああ早く九州に帰りたい沢を下ることにする

にぎり飯を作ってテントの中にあったシャツ

や靴下を借りるテントを出てみると

5m上にやはりクマがいた。

 

とても出られないのでこのままテントの中にいる

(判別不可能) しかし (判別不可能)

他のメンバーはもう下山したのか、

鳥取大ワンダーフォーゲルは

連絡してくれたのか

 

いつ助けにくるのか、全て不安で恐ろしい。

またガス(霧)が濃くなって不気味である』

 

ここでメモが終わっています。

 

判別不能な字を書いてしまう程の

恐怖が伝わってきます。

 

この事故の教訓では熊にあさられた

荷物は破棄する事、後ろを見せて

逃げない事、熊に遭遇した場合は

早く下山する事などが挙げられています。

 

以上最後までご覧いただき

ありがとうございました!

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