
1月6日放送の【歴史秘話ヒストリア】で今年の大河ドラマ【おんな城主直虎】の主人公
井伊直虎について特集されます。
柴咲コウさんが直虎役をするのですが、
何故直虎は城主になったか?など気になるトピックについて話されるようです。
静岡県浜松市井伊谷が直虎のふるさと。
井のマークの謎
浜松市井伊谷の街中にはいたるところに井のマーク
なんと100年前から使われているそうです。
でも地元小学生にはいまいち不人気な直虎さん
信長に負けています(笑)
橋の欄干などにもある井のマーク
勿論、井伊家ゆかりの井ですね。
その中でも特別な井のマークがあった。お寺の一番上の瓦に井のマークが・・
龍潭寺
井伊家所縁のお寺で井伊家の菩提寺。
直虎の魂もこちらに眠っています。井伊家の伝記が収められているようです。
井伊家伝記 戦国の井伊家の歴史が記されているそうです。
肖像画すらない直虎の唯一の手がかりといっても過言ではないです。
次郎法師=直虎説の最有力手がかりと言われています。
『次郎法師は女にこそあれ、井伊家惣領(跡継ぎ)に生まれ候』と記されています。
次郎というのは井伊家の跡継ぎを指す言葉で、法師は僧侶の事。
次郎法師は女でありながら僧侶でもある直虎の人生はどのようなものだったのか?
何故直虎は女城主に?
1545年頃、直虎は井伊谷城城主の娘として生まれる。
許嫁に従妹の井伊直親を許嫁としていました。
直虎が10歳の時に、許嫁の直親が行方不明に!
どこに行った?直ちかぁぁぁ!!
それがショックでかどうかはわからないが、それが原因で出家。
許嫁の冥福を祈る日々、10年経過・・・
突然井伊直親リターンズ!!
実は直親は命を狙われていた為に、逃亡生活を送っていたのです。
出家してしまった直虎、結婚も恋も出来やせん・
しかも直親は他の女と結婚。子供もいたようです。
直虎ショーーック
身仏に使える決心をする直虎。
ところが・・・・
井伊のお家が途絶える危機が・・・・
織田信長との戦のさなか、直虎の父が討ち死。
後を継いだ直親も今川家に謀反を疑われて暗殺。
井伊家の男連中皆死去。
そこで白羽の矢がたったのが直虎です。
しかし女で尼さん。お家を継ぐにはかなりの決意が必要だったようです。
巨石伝説
龍潭寺近くの丘の上に、古墳時代の遺跡、天白磐座遺跡があります。井伊谷を収めていた王が豊作を祈った場所といわれています。
こちらで出土した土器などを調べると、こちらの王が直虎・・つまり井伊家の先祖であったとの説が出てきます。
井伊家の歴史は直虎の時代から1000年以上さかのぼる事が出来る歴史ある一族だったのです。
そのことを知っていた直虎は家を守らなければならないという想いがふつふつとわいてきたのではないか?と考えられています。
こうして、直虎は30歳にして女城主に。
おんな城主は直虎以外に?
立花誾千代
福岡県の立花城主。
寿桂尼
今川義元のおかん。40年にわたって今川家を陰から操っていたと言っても過言でもない肝っ玉おかん
直虎の一日
こちらは文献から想像されれる直虎の一日をテレビで再現していました
朝から領民の仲裁や、井伊家の財政について頭をなやませたり。
直虎が城主の時すでに井伊家の財政は戦によってかなり消耗されていたよう。
今川義元に戦に駆り出されるたびに頭を痛めていたようですね。
資金繰りは、商人を呼んで、借金をして回していたそうです。
秋の年貢を期待しての資金繰り。零細企業みたいですなぁ・・・
領民からの差し入れなどには礼をもって手厚く返したりとかなり領民にも人気があったよう。
女性ならではの気配りができていたそうですよ。
直虎最大のピンチ
直虎城主就任の翌年、今川家からの使いがきた。井伊谷の領民の借金を帳消しに。。。
徳政令を出せ!と言われてしまいます。
領民は喜ぶが、貸した商人は破産。
直虎もこれはおかしいと思います。直虎自体も商人に借りている身。商人が破産したら直虎も困ります。
実はこれは今川家が井伊家を潰すためにした計略だったのです。
直虎ピンチ!
その後の対処は直虎さんはのらりくらりと締め切り伸ばす漫画家のように伸ばし伸ばしにして時間稼ぎ。
その間に商人をすくう対策を行っていた。直虎は城主の権限で徳政令がでたとしても、品物や銭金は守られるという内容の書きつけを与えたそうです。
借金のカタに持っている土地などは帳消しにならないようにして、商人が丸損しないようにしました。
そうして、商人が守られるようにすると、やっと徳政令を出します。
おかげで、今川家の思っているような破たんはおきませんでした。
むしろ、密に領民との協議を重ねたので更に信頼される領主となったようです。
直虎、なおもピンチ
出る杭は打たれる!うまく今川家をやり込めた為、力ずくで今川に城主の座を奪われてしまいます。
その一月後、なんと今川家が滅亡。信長さんにやられちゃったのねー。
井伊谷には徳川家康の軍勢が。。。ピンチをチャンスに!と直虎さん。
ですが、当時すでに家臣もおらず、そこで思いついたのが、家康の家臣になる事。
しかし、直虎は女性。女性では仕官させてもラえないと考えた直虎。
そこで白羽の矢がたったのが、直親の子 虎松。
この子を英才教育していきます。
三河の国での猛勉強
鳳来寺にて、就職活動をしていきます。当時はお寺が学校のようなもの。
ここで猛勉強して、家康の目に留まる努力をします。
そして、身内をつかって、徳川家とのコネクションを作っていきます。
虎松の母を再婚。しかも家康の側近の松下源太郎に嫁がせるなんてなかなかえぐい。
ぶっちゃけ政略結婚です。
虎松が15歳の元服を迎えます。
徳川家康が鷹狩に出ている折、お目通りを願い出たのです。
そこには、直虎と虎松。
アポなしで家康に会うための作戦だったようです。
そこで、井伊家の血を残すためにあえて虎松が松下源太郎の実子ではない事を伝えます。
そして虎松も家康に忠誠の弁を述べ、その様子を見ていた家康は『只者ではない』と思うように。
そして家臣として、井伊の名で召し抱えられるようになるのでした。
その後、虎松は井伊直政と改め井伊の赤鬼と異名をとられるようになります。
その後の直虎は、井伊谷で47歳で生涯を終えたそうです。
その墓はかつての許嫁 直親の墓の傍に建立されています。
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まとめ
ヒストリアで紹介されている内容はこんな感じでした。もちろん冒頭にあるように、余りにも資料が少ないので色んな憶測があります。
最近では直虎はフツーに男だった?というのもあったそう。
でもドラマにするなら史実がぼんやりしてた方がおもしろくできそうですね。
では期待して、女城主直虎を楽しみにしましょう。
以上ありがとうございました!