
台風迫ってきてますねー。こんちは、管理人のハバネロです
今夜放送の【世界ふしぎ発見】
アメリカにあるもう一つの国
ナバホネイション(居留地)を特集するみたいですね。
アメリカに国?って何のこと?
とおもったんですが
先住民族が暮らすところのようです。
先住民族問題となるとちょっとネガティブな
要素もふくんでくるんですが
そこらへん番組でどう触れていくのかも気になりますね。
さて、そのナホバネイションでじつは日本人が
居てるんです。
その方は河野謙児さんとおっしゃる方で
職業はカメラマン。
ナバホネイションに住んでいて
ナバホ語をしゃべる事もできるという河野さん。
今回は河野謙児さんについて
経歴や年齢に家族、妻や子供について
またナバホコードトーカーを撮る理由や個展に写真集などの
情報も調べてみました。
- ナホバネイションのカメラマン河野謙児の経歴にプロフ
- 河野謙児はなぜナバホネイションにいるの?
ナバホコードトーカーを撮る理由は? - 河野謙児の妻や子供は?
- 河野謙児の個展や写真集は?
以上の内容でお送りしまっす!
ナホバネイションのカメラマン河野謙児の経歴にプロフ

http://www.acejapan.net
- 名前 河野謙児 かわの けんじ
- 生年月日 1949年
- 出身地 福岡県
- 職業 カメラマン
経歴
高校卒業後に広告代理店への就職が決まり上京。
絵が好きだったこともあり、グラフィックデザインの
仕事に就きます。
1973年に写真修行でロサンゼルスへ渡米します。
この時24歳ですね。
当時この歳で海を渡るってかなりの覚悟が行ったと思います。
翌年の74年にアリゾナ州のナバホ保留地を訪れ、以後
ナバホネイションをカメラでドキュメントしています。
では次に河野謙児さんがなぜナバホをドキュメントしているのか
そのきっかけとなった理由について調べてみました。
河野謙児はなぜナバホネイションにいるの?
ナバホのコードトーカーを撮る理由とは?
彼がナバホに興味を持ったのはある人物との出会いがあったからです。
渡米してある骨董屋の主人からナバホの話を聞きます。
当時のインディアンはアパッチなど日本人のイメージにある
部族が有名でナバホとは聞きなれない。
どんな部族なのか興味がわいてきたそうです。
そこでナバホ居留地へすむことを決意します。
ナバホ居留地でホームステイ先を探し、ガソリンスタンドで
働く事もできるようになります。
ナバホ語もお客さんとの会話から少しづつ習得。
そうした時に運命の出会いがありました。
その方はカールゴーマン氏。
彼もまたナバホ族の人間で元海兵隊員。
後述しますがナバホの人は大戦中に政府から密命を
受けていました。
アリゾナで河野さんが大きなカメラバックを抱えて
歩いている所、車にのったカールさんが声をかけたのが
二人の出会いです。河野さんは暇をみつけてはナバホについて
写真に収めようとしていました。
その時、カールさんは妻とニューメキシコのクリスタル
という町で行われるナバホエネミーウェイ(スコア・ダンス)
という祭りに参加したのち、河野さんの住んでいる町に
おくってあげる。祭りに行けばナバホの写真もいくらかとれる
けどどうか?という提案を河野さんにした所、承諾。
その後もよく道を歩く河野さんを見かけたというカールさん。
そのたびに彼を車に乗せては移動する事もあったそうです。
そしてカールさんとの出会いはナバホのある秘密を
河野さんに教えてくれました。
隠されたナバホのコードトーカー達
前述しましたがナバホの人々は政府からある密命を
受けます。
それは暗号
大戦中、情報は非常に重要でした。そこでアメリカ政府が
考えたのがナバホの言語を暗号にする事。
英語のアルファベットをすべてナバホの言葉に変えて
表現する事でナバホの普通の人にもわからない暗号だった
と聞きます。一例をあげると
戦車をカメ、戦闘機をハチドリなど・・・
この暗号は終戦まで日本軍には結局解読する事は
出来なかったそうです。
彼らは激戦となる最前線に常にでて、通信兵として
活躍していました。硫黄島やガダルカナル諸島など
その功績ははかりしれないでしょう。
しかし1968年まで、彼らの活躍は歴史に出る事は
ありませんでした。
暗号は軍部重要機密。機密保持のために公にはされて
きませんでした。そんな彼らの事をドキュメントしようと
長年にわたり取材を続けてきたのが河野謙児さんです。
ナバホのコードトーカー達の記録を残したかったのが
撮る理由のようですね。
次ページでは河野さんの妻や子供についてや写真集や個展情報も