明治金工三羽烏とは誰?香炉などの作品の価格は?金工師は元はあの武士の命の装飾を作ってた?【なんでも鑑定団】
スポンサーリンク

9月12日放送の

なんでも鑑定団

今回もなかなかのお宝が出てくるようですね。

なんでも骨董市で一目惚れして30万で購入

明治の金工三羽烏と謳われた名工の作に

酷似してるというんです。

さて、明治金工三羽烏って誰?

てなもんでそこらへんについてと

その三羽烏の作品の大体のお値段なども

調べてみました。するとあーなるほど

時代の波に飲まれながらも必死で

自分の技術で生き抜いた漢達だったんです。

  • 明治金工三羽烏って誰?
  • 金工三羽烏加納夏雄
  • 金工三羽烏海野勝眠
  • 金工三羽烏正阿弥勝義
  • なぜ香炉などの金工細工をするように?
    元は武士の命の装飾家たち。
  • 明治金工三羽烏の作品の価値(お値段)は?

以上について調べてみました。

スポンサーリンク

明治金工三羽烏って誰?

明治金工というからには、時は幕末~大正にかけて

活躍した金工家の事を言います。

金工とは、金属などで細工をして装飾する職業。

高給な漆器の象嵌の装飾をしたり、香炉やなんと紙幣の金型
までつくったりもします。

では順に簡単にプロフィールを。

金工三羽烏加納夏雄

  • 名前 加納夏雄 かのうなつお
  • 生年月日 1828年5月27日
  • 没年 1898年2月3日

京都に生まれ、刀剣商の養子となる。刀の鍔などの

美しさに魅了され、自然と金工師への道へ。

師匠は彫金師の奥村庄八。

18で独立。その後は数々の名品を作り続ける。

明治新政府樹立後、貨幣改定の折にその技術の高さから

当初予定していたイギリス人技師がその腕前に驚き

依頼を辞退。そして奥村庄八が担当することになる。

世界中で根付や煙草入れなどが愛され有名となる。

いやー、18で独立って凄いですね。しかも
予定を覆すほどの技術力!さすが三羽烏としか
言いようがないです。作品も載せたいのですが

版権上の都合で(;''∀'')

金工三羽烏海野勝眠

  • 名前 海野勝眠 うんのしょうみん
  • 生年月日 1844年5月15日
  • 没年 1915年10月6日

萩谷勝平や叔父の海野美盛に師事。

明治10年の第一回内国勧業博覧会にて受賞。

東京美術大学(現東京芸大)の雇員となり

上記の加納夏雄に師事。明治27年に教授となる。

29年には帝室技芸員。得意な細工は色彩感のある

象嵌細工と片切り彫りという技法。72歳で死去する。

三羽烏の中で最も若手。師匠に加納夏雄がいて
その師匠と肩を並べて称されるってすごいですね。

スポンサーリンク

金工三羽烏正阿弥勝義

  • 名前 正阿弥勝義 しょうあみかつよし
  • 生年月日 1832年
  • 没年 1908年

彫金師の家に生まれ、父から彫金の手ほどきをうける。

その後、江戸幕府に出仕。18歳の時に岡山の彫金の

名家、正阿弥家に養子となる。

正阿弥家の9代目を継ぎ、実兄の中川一匠から
彫金の手ほどきを受ける。一匠は代々徳川家に

使える彫金師後藤家の門人。江戸幕府や宮中の

ご用職人をつとめていた。

正阿弥家は代々岡山藩主お抱えの彫金師で
刀装具などを作成していたが、廃刀令後は

衰退。しかし正阿弥勝義はその技術を用い

香炉や花瓶など室内装飾品を作り出すことで

時代の波をのりこえていった。

美術展や博覧会にも数多く出品、30回以上の受賞や

宮内省買い上げは13回以上に及んだという名実ともに

名工の一人である。

彫金師の家系に生まれて養子先が彫金師って
ものすごいサラブレッドですね。

正阿弥家男子に恵まれなかったんでしょうか?
次男以降が養子にでて跡取りって当時では

余り珍しくはなかったんでしょうね。

スポンサーリンク

なぜ香炉などの金工細工をするように?
元は武士の命の装飾家たち。

さて、そんな彫金師たちですが

幕末から明治になるとなにがあったか?

そうです廃刀令ですね。

上記にも少し書きましたが廃刀令前までの

彫金師の多くは刀の装具をこしらえていました。

鍔や鞘の装具ですね。

しかし、廃刀令が実施されると当然仕事はなくなります。

事実その影響で廃業に追い込まれた彫金師も

少なくはなかったとか。

その中で、一握りの彫金師たちはその技術力を応用し

香炉や根付、煙草入れなどに金工を施し、新たな
生活の糧にしていったわけですね。

高い技術力と応用力がないとできない技ですね。
時代を切り開く柔軟性・・・流石です。

明治金工三羽烏の作品の価値(お値段)は?は2P目で!

スポンサーリンク
スポンサーリンク