星の王子様ニューヨークへ行く!
そんな話が戦前の日本であったのを
知らなかった管理人のハバネロです
こんちは!
王族と平民のラブロマンスって
憧れる女子おおいのではないでしょうか?
いつかアラブの石油王が私を
迎えにきてくれるわ~
と夢見ていた同級生を思い出し
ますね。
今ではしっかり脂の乗ったおじさま
のお嫁さんされていますがそれはさて
おき、今回のノンフィクションでは
リアル王族婚をはたした日本人女性
大山清子さんの妹にあたる
大山昌子さんが主人公。
つまり王族と姉の子供が
王女になるので王女にとって叔母に
あたる存在ですね。
彼女についてやなぜ今再開を希望
するのか?ブサイナ王女がなぜ
再会に訪れれない理由などを
調べてみました。
大山昌子のプロフィールは?
こちらは一般の方という事も
あり詳しい情報はほぼ皆無でした。
年齢が今年88歳であるという事で
1930年頃のお生まれであると
いう事。
生活拠点が神戸近郊であったこと
くらいでしょうか?
父は大工職人でごくごく平凡な
家庭だったそうです。
大山昌子は結婚して子供いる?
財産は?
こちらは独身を貫かれて
います。それゆえに姪である
ブサイナ王女に人一倍肉親の
情があるのではないでしょうか?
また、子供もいない事から
後述しますが王族の財産目当て
の再会を希望してるわけではない
と言えそうです。
またご本人の財産も一人で暮らして
いけるくらいはあるという事
だそうです。
姉・大山清子のプロフィールは?
姉の清子さんこそ、アラブのラブロマンス
の主人公。その生涯は23年の短さで
閉じてしまいます。
彼女がオマーン元国王タイムールとの
熱愛に至ったきっかけは、同僚(当時税関
職員)と一緒に行っていたダンスホール。
戦前のダンスホールはハイカラな若者の
社交場でした。
そこにお忍びで来日していたタイムール元
国王が清子さんに一目ぼれ、熱烈な
アタックで徐々に彼女の心をつかんでいきます。
当時中東の外国人は港町神戸といえども
少数。もちろん清子さんのご両親も
反対しますが説得の末に日本での永住を
条件にタイムール元国王と清子さんの結婚
を了承します。出会ってからわずか1年の
事でした。実はその間にタイムール元国王は
タイムール元国王は日本に永住する為に
国の王族への報告の為に一時帰国して一夫
多妻の国でもあるので他の妻に了解を
取りに行ったりと半年ほどいなかったことも
あったそうです。そんな壁を乗り越えた
2人の間に一人の子供が生まれます。
彼女こそがブサイナ王女、日本名節子さんです。
しかし幸せな日々は長くは続きません
でした。ほどなくして清子さんは腎盂炎に
かかり他界します。この病気については
結核であったとの情報も。
またその場合はブサイナ王女にも
移る可能性があったので清子さんは
隔離されていたと思われます。
1939年11月病没享年23歳。
結婚生活はわずかに3年ほどでした。
シンデレラストーリーの主人公は
幕引きもロマンティックではありますが
悲劇のヒロインには違いないでしょう。
大山清子の最後の日記は?
実はブサイナ王女は母、清子さんが
無くなった時の形見の品を所持
していました。
その一つが日記なのですが
後述しますがある理由により
ブサイナ王女は日本語の読み書きが
全くできません。
そこで78年に来日の際に
この日記を持参し読んでもらった
そうです。
そこには悲痛な病状と
娘に向ける愛情が綴られていた
そうです
最後の日記(昭和14年6月11日)
・・・私はどうしてこのような不幸な体になったのかと思い、自然に泣けてくる・・・神様ァ。
神様、病気をするまでの私の朗らかな心はどこ。
本当の自分の毎日の気持ちは、自殺をしたいと思う位だ。
・・・ブサイナのために生きたい・・・道行く人々はみな楽しそうだ。
そうして、私だけがこう苦しい。病魔に負けてたまるか。勝たなければならない。
かわいいブサイナのために。神様、何卒お見方下さい。我が子でありながら、そばへも寄っていけない。かわいいと思えばこそ、我が子の手にもさわれない。
この病気さえなければ、と幾へん考えることか・・
https://blog.goo.ne.jp/hirokazu0630/c/75fd4f05db46ae5040556cce5f26f508引用
ブサイナの名前のところは当時の
和名が入ると思いますが
悲痛な母の叫びが聞こえて
きそうです。23歳と言う若さで
他界したシンデレラの冥福を
お祈りします。
ブサイナ王女の日本名は節子。改名の理由は?
ブサイナ王女は神戸にてその生を受けます。
日本での名前は節子。
おそらくは節子・アル・サイード
になるはずでした。
1937年10月10日生まれ。
フルネームは
ブサイナ・ビント・
タイムール・アル=サイード
名前を直訳すると
【アルサイードタイムールの美しい娘】
と言う意味です。
アルサイードは氏族名なので
日本で強いていうと苗字のようなもの
ですね。ちょっと違うけど。
幼少期はわずかな間しか一緒に
母と過ごせなかった過去があります。
上記しました通り清子さんは結核に侵され
何とたびたび病院を抜け出しては会いに
行く事もあったそうです。
(この結核説はwikiからの引用ですが
ちょっと信ぴょう性は微妙)
その為にブサイナ王女は王女から見れば
祖母にあたる清子の母に預けられ、父の
タイムール元国王はボンベイに移ります。
(このボンベイ移住もオマーンへの一時帰国
との情報もある)
清子の病没後に再来日をタイムール元国王は
され、清子の墓を建立します。
その後、将来オマーン王族の相続権を
得られるようにオマーンへ渡ります。
この時、清子の妹たち(大山節子達)に
【トランクにラクダの赤ちゃん詰めて帰って
来るね】
と無邪気に語ったそうです。
そして王族としての名前ブサイナと地位を
与えられ、王女としての生活が始まります。
つまりはタイムール元国王は
日本人節子として育てるより
裕福なオマーンの王族へ入れた
方が節子の幸せとおもったんでしょうね。
そしてブサイナ王女が誕生したわけです。
しかしこの後、1978年まで彼女が
日本に戻ることはありませんでした。
ブサイナ王女(節子)が日本へ戻れなかった理由とは?
日本を離れ、オマーンに移り住んだ
ブサイナ王女。実は改名の理由は王族
として迎え入れると同時に日本人っではなく
完全なオマーン人として育てるという
父タイムール元国王の意思だったとも
言えそうです。その為、日本との
影響は断ち切られた環境で育った
そうです。
わずか3歳~4歳で日本を離れた
ブサイナ王女にとっては夢幻
のような記憶となったかもしれ
ませんね。しかし、母の事は父から
少なからず聞いたことでしょう。
そのうえでオマーン人として
育ってほしいと思っていたと
思います。
オマーンは実は宮廷クーデターに
よって1970年に王位が変わって
います。
前政権の担い手であるサイード国王
(ブサイナ王女の異母兄弟)から
ブサイナ王女は冷遇とまではいかない
にしても王族の秘匿扱いをうけてい
ました。
日本でいうと忌み子に近い存在で
あったのかもしれません。
またサイード前国王は息子の
カーブース現国王をも軟禁して
いた事もあります。
王族の政権争いに巻き込まれた
と考えるのが妥当でしょうね。
そしてクーデター成功後は
甥にあたるカーブース国王により
軟禁が解かれ、日本への母親の
墓参りがかないます。
墓参りで再開の記念の金貨とは?
1978年の訪日の折に、母清子の
妹3人にブサイナ王女は金メダルを
渡しているとの報道があります。
勿論、それは今回のノンフィクション
の主人公である大山昌子さんにも
渡っています。
どういう金メダルでどのような価値が
あるかはわかりません。
もしかしたらオマーンで特別な
意味のある行いかな?と思って
調べてみたのですがそういう逸話は
見当たらなかったですね。
ただ、金は古来より永遠の輝き
を意味する王の財産の象徴でも
ありました。
もしかしたら肉親としての繋がり
は永遠という思いを込めていたの
かもしれません。
何故今になって大山昌子は再会を希望する?
財産目当て?番組のオファーを受けた理由とは?
そしてなぜ78年から40年
経った今、なぜ大山昌子さんは
ブサイナ王女に会いたいのか?
これはもう肉親の情と言うほか
ないでしょうね。
特に大山昌子さんはブサイナ王女とは
8歳違いで3歳くらいの王女と
よく遊んでいたそうです。
年の離れた妹、お姉ちゃんの関係
だったんですね。
しかし、番組のオファーを受ける
については葛藤もあったと感じます。
ご本人も番組内で吐露される
と思いますがこんなコメントを
されています。
「私らがなにがしのお金目当てにそうしてると思われたらけったくそ悪い。別に私は向こうの財産目当てにしてるわけでもない。細々と自分で食べていけるんやから、もういらん波風は立ててほしくないから」
その気持ちはよくわかります。
しかしもう88歳の大山さん。
幼き頃に分かれた自分の姪に
手紙を何度か送ったが返事はない
(おそらく日本との関係を断つため
に処分されていた可能性が高い)
そんな彼女の存在の心配が歳を
取ることに大きくなっていったのは
想像に難くないでしょう。
そして78年に短い時間ではあるが
再会を果たしましたがそれから
30年、再び沈黙の時間が過ぎて
しまいました。
会いたい気持ちが募り
会えないなら多分大きな心
残りになってしまう事でしょう。
だから番組のオファーも
受けたのだと思います。
出ないと上記のように
財産目当てという奇異の目で
みられるリスクを冒すはずが
ないと思います。
今回の放送で再会はかなうのか?
番組が楽しみですね!同時に
会えることをお祈りします!
まとめ
大山昌子さんはブサイナ王女の
叔母にあたり姉は清子さん。
ブサイナ王女は日本に戻れ
ない理由はオマーン人として
の生活する為に日本との交流を
断っていた経緯がある。
またサイード前国王時代に
軟禁されており70年まで
宮廷から出れない実情が
あった為。クーデター後の
78年に母清子さんの
墓前を弔い、その時に
再会の記念に清子さんの妹
達(大山昌子さん含む)に
金貨を渡している。
大山昌子さんがなぜ今になって
ブサイナ王女に会うのかは
幼くして外国へ行った姪の
心配。一度は再開したがそれ以来
また連絡が取れない状況のまま
では心残りがでるからでは?
とおもわれる。
会えるといいですね。
王族や皇族となると一般人の
常識範囲を超えるしばりがでるので
どうなるかはわかりませんが
会えることを心から
お祈り申し上げます!