
こんちは!管理人のハバネロです。
4月1日の改元の元号発表が
されて世の中令和ブームですよね(笑)
いい意見悪い意見耳にしますが
お札にも新たな風が起こっているようです。
20年ぶりの紙幣の肖像画の刷新。
今回はかなりマニアック??な方々
に決まりそうです。
政府は数年後をめどに、1万円などの紙幣の肖像画を変える準備に入った。肖像画の変更は2004年以来となる。政府関係者が9日未明、明らかにした。
という訳で、今回候補に選ばれている3人
渋沢栄一・津田梅子・北山柴三郎って
どんな人かについてその功績などを
調べてみました。
新札(新紙幣)一万円の渋沢栄一ってどんな人?功績は?
渋沢栄一は『日本資本主義の父』とも言われた人物で
第一国立銀行や東京証券取引所などを作った人物。
天保11年2月13日生まれ、昭和6年に没。
豪農の生まれでお金のやりくりなどの
才はここで磨かれたらしい。
幕末は攘夷派として活動をしようとするが
従弟の説得で中止するという過激な一面もあった。
その後、実家に勘当され、京都にでるも
志士活動は当時勤王派が多い京都ではできず
結局は幕臣へとなる。
その後、幕臣としてパリ万博の為にフランスへ
大政奉還の折に帰国している。
帰国後は使えていた元将軍慶喜から
自分の道を生きるようにいわれ、フランスで
学んだ株式会社制度の実践。
その後大隈重信に説得され大蔵省に入省。
しかしのちに大隈重信、大久保利通らと
意見がわかれ退官することになる。
その後、設立を指導していた第一国立銀行頭取に就任。
銀行の他、現在日本で有名な企業の多数の
設立に関わっている。(その数500)
また、時事通信社や共同通信社の元となった
報道機関も設立していた。
ここまでの成功で得た財で財閥をつくらず
『私利を追わず公益をはかる』という素晴らしい
考えの持ち主であった。
子爵の爵位も持っていた人物でもあった。
現在日本の資本主義の父といわれる
だけあって、今の大企業の基盤をなる
部分を多く作っていたようですね。
500の企業の中には王子製紙や
東京海上火災保険、東京証券取引所
京阪電気鉄道などなど大会社の名前が
ずらっと並びます。
これだけの功績をのこしていながら
今までなぜえらばれなかったのか?
しらべてみたら結構マジか?って理由でした
渋沢栄一が今まで選ばれなかった理由とは?
渋沢栄一は過去に何度も、初代紙幣から候補に
あがってはいたようです。
しかしある理由からそれは見送られてきたそう。
他にふさわしいと思われる候補がいたり、意外な
理由から見送られたりしてきたようです。
一番のチャンス?であった伊藤博文が肖像になった
1963年の千円札刷新の時の理由が
『ヒゲが無いから』。
当時、偽造防止の為に肖像画の絵は
ややこしい?ヒゲがある事が好まれた
そうで、その理由で候補から落選した
んだそう。
500円札の岩倉具視がヒゲなしでGO
してるのはちょっと納得いきませんが
史実としてそういう理由らしい。
新札(新紙幣)5000円の津田梅子ってどんな人?
津田梅子は日本の女子教育の先駆者として
知られている人物。
元治元年1864年12月31日生まれ
昭和4年1929年8月16日没。
旧幕臣東京士族の生まれで幼少期は
苦労していた。
6歳で岩倉使節団に随行。アメリカ留学
の経験を十数年積む。
帰国後、日本には適した職もすくなく
津田梅子自身も日本語より英語が得意
になってしまい、日本の風習にも
疎くなってしまっていた。
伊藤博文の紹介で華族子女教育をしていた
下田歌子という人物の元へ。
同時に伊藤博文の英語の通訳として雇われ
その後下田歌子の塾の英語教師として就任する。
明治22年に再び渡米して生物学を専攻する。
留学時に日本人女性の為の奨学金制度の設立を
奮起し公演や募金活動なども行っていた。
アメリカの大学からは留まり研究をすることを
勧められるが明治25年に帰国。
その後は再び華族女学校へ就職する
その間も女学生への支援を怠らず
自身の家にあずかるなどもしていた。
その後に女子大学創設運動や女子教育への
気運が高まった時に『女子英学塾』を設立。
後の津田塾大学へとなる。
自由で進歩的な教育をモットーにして
いたが、その反面財政は厳しかった。
理由は教育方針の横やりを入れられない
様にするために出資を最小限に抑えていた
為。梅子自身の給料も無償であった。
塾の基盤ができると塾長を辞任
昭和4年に脳内出血で没。
津田梅子が選ばれた理由は?功績は?
津田梅子について調べてみたんですけど
高校時代にサラっとこういう人いますよ~
程度だったので改めてこういう人だったんだ
とおもいました。
今回の候補に選ばれた理由について
功績から見てみると
日本の女子教育の基盤を作った人物で
ある事ですよね。
中でも1891年の創設された
『日本婦人米国奨学金制度』は
当時としては画期的だったのでは
ないでしょうか?
この制度で募った募金は8000ドル
に及びます。
大体の金銭価値で見ると当時の1ドルは
現代の2万円くらいだったそうで
一億6千万相当の寄付金になったんだ
そうです。
このお金で留学した女子学生の多くは
女学生の指導者として活躍されたんだとか。
女性の社会進出がここ20年ほどで
顕著にみられるようになりました。
そうした時代背景もあり、前回の樋口一葉
と同じく女性で教育者としての先駆けである
津田梅子が起用されたのでは?と
感じますね。
新札(新紙幣)1000円の北里柴三郎ってどんな人?
北里柴三郎は1853年1月29日生まれ
1931年6月13日没。
熊本県の庄屋の息子として生まれます。
幼少期から英才教育を施され、熊本医学校へ
入学。
その後東京医学校(現東京医科大学)へ進学。
しかし勤勉が過ぎ、教授に突っ込みを入れすぎて
大学と仲が悪く留学が多かった人物だったそう。
出る杭は打たれるを体現してますね。
留学時代にはドイツに留学。
ベルリン大学でコッホに師事。
当時、難病であった破傷風の治療に
画期的な成果をもたらす為の
破傷風菌のみの純粋培養に成功。
破傷風菌抗毒素を発見。
菌体を少しずつ動物に注射して
抗体を生み出す『血清療法』を
開発したなど世界的な功績も残しています。
帰国後、脚気の原因菌の話で母校の
教授とひと悶着あり、結果として母校の
から対立。
日本で当時から絶大な影響力を持つ
同大学に目をつけられてしまい
日本での活動を制限されてしまった。
それを見かねた福沢諭吉の助けで
私立伝染病研究所が設立される。
内務省管轄の研究所となり、その後
ペスト菌の発見など医学的に大きな
功績を残している。
その後、伝染病研究所の所属の軋轢があり
(遺恨のある大学の学長が所長になる)
所長を辞職。
自費にて【北里研究所】を設立。
後の『北里大学』となる
狂犬病やインフルエンザ赤痢に
腸チフスなど各種伝染病の血清の
開発に取り組んだ。
福沢諭吉の死後はその恩義に報いる為
慶応義塾大学医学部を設立。
初代医学部長、附属病院長となる。
北里柴三郎が選ばれた理由は?功績は?
むしろ今まで選ばれなかったのが不思議
なくらいの功績ですよね(笑)
血清療法が無ければ、いったいどれだけ
多くの人命が失われていたかわかりません。
功績をみても
- 血清療法の開発
- ペスト菌の発見
- 破傷風菌の発見
- 大学の創設
- 伝染病治療への貢献
など数多く見られます。
また、自身の研究所
北里研究所の優秀なスタッフを
慶応義塾医学部の教授にして後進の
育成に尽力を注ぐなど医学の発展に
大きく貢献しています。
これら総じて今回の新紙幣の起用に
なったのでは?と思います。
また、前任?の野口英世とも
全く無関係ではない人物でもあり
医学の発展つながり?で選ばれた
と邪推もしたくなりますね。
歴代紙幣の肖像画は?いったい誰が選ばれていた?
ここでは歴代の肖像画について調べてみました
- 1881年~:神功皇后
- 1888年~:菅原道真
- 1889年~:武内宿禰
- 1890年~:和気清麻呂
- 1891年~:藤原鎌足
- 1900年~:聖徳太子
- 1945年~:ヤマトタケル
- 1946年~:二宮尊徳
- 1948年~:板垣退助
- 1951年~:岩倉具視・高橋是清
- 1963年~:伊藤博文
- 1984年~福沢諭吉・新渡戸稲造・夏目漱石
- 2000年~:紫式部
- 2004年~:樋口一葉・野口英世
いかがでしょう?こうしてみると結構
いろんな人が肖像になってますね。
特に前半部分はかなり昔の偉人が
使われているのがびっくりです。
ヤマトタケルに至っては
伝説ですからね(笑)
新札(新紙幣)変更はいつ頃?令和何年から?
新紙幣への変更は今のところ2024年を
予定しているそうです。
ちょうど野口英世と樋口一葉がでてきて
20年の節目になりますね。
過去の変遷をみても20年に一度が
節目になっているようです。
偽造防止の為でしょうか?
出来れば令和元年から変更とか
できたらすごく気持ちよかったん
ですけど、こればっかりは調整が
効かないですからねー残念!
まとめ
いかがでしたでしょうか?
新しいお札ができるのは後5年後なの
ですが、ネットでは意外に
キャッシュレスの時代になぜ変えるの?
という意見も見られて
そういう見方もあるんだなと思いました。
半面、こうして昔の偉人をお札に
することで、その人について調べる
きっかけになったりするかもしれない
ので、アナログな事も大事だよな
とおもったり。
今回紹介された人物はどれも
素晴らしい功績をのこしている
人物。
後数十年後にはもしかしたら
スポーツ界の偉人などもでてくる
かもしれませんね。
100年後にイチローの一万円札とか
あったらムネアツですね(笑)
最後までご覧いただき
ありがとうございました!