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こんちは!管理人のハバネロです!皆さんはカンボジアと聞くと何をイメージしますか?管理人はやはりPKO派遣など

が一番に頭に来ますね。それぐらい一時期話題になったのですが、最近はあまりニュースでもみません。

 

実はある一人の日本人がカンボジアに深くかかわり、その行動が世界を変えたというのです。その様子が奇跡体験アンビリバボーで紹介されるようなのです。

2002年に定年を迎えた1人の日本人男性。彼はある思いを抱えていた。それは「カンボジアに行きたい」というものだった。男性は、2002年まで自衛官として勤務しており、カンボジアの悲惨な状況を目の当たりにしていた。1番の問題である地雷、不発弾は600万個あるとされ、それにより畑を耕すことができず人々は貧しい生活を余儀なくされた。男性は地雷、不発弾を処理する技術がありながらも、自衛官としての任務に含まれなかったことから人々を救うことができなかった。そんな葛藤を抱えながら退官したのち、わずか3日後にはカンボジアに旅立ったのである。しかし、数々の試練が男性を待ち受ける。  国を変えようとした男性の激動の半生!それを支える妻!男性が下した決断が世界を変える!

2002年に定年を迎えた男性の半生の物語、救いたくても救えなかった人々にできることを力の限りおこなった日本人。

高山良二さんの経歴やプロフィールについて調べてみました。

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高山良二のプロフィールは?

では早速、高山さんのプロフィールを見ていきましょう。

高山良二プロフィール
  • 名前:高山良二
  • 生年月日:1947年月日不明
  • 年齢:71歳~72歳
  • 出身地:愛媛県北宇和郡三間町
  • 現在の所在地:カンボジア・バタンバン
  • 職歴:自衛隊・NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長

戦後すぐの1947年生まれ、出身地の愛媛県の宇和群と言えば、現在は鯛の養殖などでも有名な宇和島の近くですね。

現在、カンボジアのバタンバンという町に居住地を移し、カンボジアの貧しい人や戦争の犠牲になった人の支援なども行っているようです。

今年で70を超える高山さん、いったいどういった経歴で現在のIMCCDの理事に至ったのか?その経歴についても調べてみます。

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高山良二の経歴は?自衛隊~NPO法人迄の軌跡

高山さんの経歴を調べてみたところ、自衛隊時代までの詳しい経歴は探せませんでした。

 

ただ、2002年に退官するまでに36年の年数を自衛官として任務に就かれていたそうなので、1966年に自衛隊に就職されているようです。当時の年齢は19歳。

 

現在でいう高卒のノンキャリア組で陸上自衛隊に入隊。主な配属は施設科部隊に在籍。施設科とは戦闘部隊の支援を主とした役割を持ち、

各種施設機材をもって障害の構築や処理、陣地の構築などを行い時には渡河作業を行ったりする縁の下の力持ち。

 

詳しくはこちらの動画をご覧ください。

1992年~1993年にかけて、自衛隊のPKO派遣の折にカンボジアに派遣される。PKOとは国連平和維持活動の事で、

当時20年に及ぶカンボジアの内戦が終結したとはいえ、まだその戦禍の爪痕が深く残る状況。

 

PKO派遣自体は半年の任期であったが、任期を終えたのち、帰国の途に就く途中離陸中の飛行機の中で『自分はこの半年でなにかできただろうか?』

と自問自答を繰り返し、心にひとかけの思いを残して帰国する。

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退任後、再びカンボジアの地へ。挫折とチャンス。地雷処理までの道のり

その後10年の歳月を日本にて自衛官として過ごし、退官の2002年、退官からわずか3日後に再びカンボジアに渡る為に飛行機へ搭乗

その行動については妻や家族の思いはいかほどであったか計り知れない。

 

カンボジアへ再入国後は、日本のNGOとしてベトナム国境付近で不発弾処理に従事カンボジア政府機関のCMACと共に活動立ち上げを行います。

しかし、二週間ほどでなぜか急に精神的に不安定になった時期があったそうです。

 

しかし帰るわけにもいかず、苦しい日々を過ごします。理由としては恐らく当初の目的である『地雷処理』までなかなかたどり着けなかった事。

いろいろな制約の中、方法を探っていたのですが実現までこぎつけれない日々が続いていたようです。

 

夢にまでみたカンボジアでの活動が上手く行かず、挫折感を味わい精神的に追い詰められていきます。

 

2004年の9月、遂に精神状態が限界に。一時帰国して療養しながら地雷処理が可能な方法を模索していきます。そんな中遂に2006年の5月。

地雷処理ができるチャンスが巡ってきます。2006年からはタイ国境付近にて地雷・不発弾処理を行うように。

 

この地域は特に貧困が激しく、地雷の処理が最優先されるべきとの高山さんの判断だったそうです。

 

実際に村へ入った高山さんの目には、予想以上に酷い状況が広がっていたそうです。地雷による被害者はもちろんの事、

マラリアやエイズなどの病気、インフラは進んでおらず、資材の搬入も困難な道路など劣悪な環境であった。

 

特にこの地区で一番の問題となるのが地雷の多さ。内戦時代の一ヘクタール規模の地雷源がこの地区付近でも60か所に上り

そのすべては現在も除去しきれていないほどの量。しかし地道に取り除く作業を続けていた2007年に不幸な事故がおきます。

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地雷事故で亡くなった仲間。最愛の妻が脳腫瘍に

共に地雷処理の仕事に従事していた7人の隊員が対戦車地雷の爆発に巻き込まれ帰らぬ人に。この事故の責任を感じるとともに

亡くなった方の業績を後世に伝える為にも地雷除去活動の継続を決意します

 

その後の活動にて学校や道路に井戸の建設などの地域復興にも着手。地場産業にキャッサバの焼酎の作成に着手するなど

この活動による評価も得られてきた矢先に次なる不幸が高山さんに訪れます。

 

 

なんと今まで高山さんを支えてきた妻が脳腫瘍で倒れ危篤状態に。幸い、一命をとりとめたのですが、これを機にNGOとしての活動を辞める決心をして退任。

 

奥さまは高山さんの看病の末に徐々に調子を取り戻し、元気な姿に戻りつつあるそうです。

 

そして2015年に再びカンボジアへ渡る決意をしてNPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)を設立。

カンボジア北西部バッタンバン州カムリエン群にて今現在も活動を行っています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?自衛隊としてPKO派遣の末、自身のやり残したことを全うする為に退官後に

カンボジアへ向かう高山さんの行動はとても素晴らしいことですね。真似は到底できません。なぜなら、管理人には

そこまでの覚悟がない。中途半端な覚悟では邪魔になるだけと感じます。

 

また、定年後であるという事は体の心配も当然あるでしょう。この行動を見守ってきた家族・妻も称賛されて然と思います。

最近あまり聞かれなくなったカンボジアに今一度思いをはせる機会になりました。最後までご覧いただきありがとうございます。

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