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こんちは!管理人のハバネロです。

アンビリバボー2時間スペシャル

ですね。

 

内容は

 空港で家族が搭乗している航空機を待っていた1人の男性。しかし、家族が搭乗している便の掲示板の表示が「遅延」に変わった。さらに、その後掲示板から便名自体が消えた。一体どういうことなのか?実は…。  2002年7月、ドイツ上空で2機の航空機が空中衝突するという前代未聞の事故が起きた。生存者0名の史上最悪の航空機事故。男性の家族はこの航空機に搭乗していたのだった!のちに回収されたボイスレコーダーには、信じがたいクルーたち、そして管制官のやりとりが記録されていた!衝撃の事件。その真相とは!?  そして、この事故により家族を失った男ー。彼は「ある人物」を探していた。そして、男が「ある人物」を突き止めた時、運命の歯車が大きく狂い始める。  1つの事故が家族の運命を変えたアンビリバボーな一部始終とは!?引用:ヤフーテレビ欄https://tv.yahoo.co.jp/

 

2002年にそんな事故あったとは。。

ちょっと記憶にないですね。

 

この事故についてやその後に起きた

もう一つの『事件』。

 

航空管制官とヴィタリー(ビタリー)・カロエフ

なる人物との間に起きた悲しい殺害事件

顛末や彼のその後について調べてみました。

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ユーバーリンゲン空中衝突事故とは?

まず、この空中衝突事故についてから

語らねばなりません。

 

この事故のせいで、大きく人生が狂った男性の

話でもあるからです。

 

2002年7月1日にユーパーリンゲン

(ドイツ)上空で航空機2機が衝突した

という航空機事故史上屈指の大事故。

 

両機合わせて71名の尊い人命が

一瞬にして失われました。

 

一体なぜこのような事故が起きたのか?

 

ユーバーリンゲン空中衝突事故の原因は?

事故調査局の調べでは、この2機を

監視していたスイスの航空管制シス

テムの欠陥と航空機に搭載されている衝突防止

装置の取り扱いに問題があったと指摘。

 

スイスの航空管制は通常2名体制で行う

管制を一人でおこなっており(これは当時

は当管制室では日常で違反行為だが黙認されて

いた)また、設備にも複数のトラブルを抱えて

いた。

 

同時にチューリヒの航空管制センターでも

接近警報装置をメンテナンスの為、事故の

30分前から動作停止。

 

更には主電話回線も調整の為に電源が切られて

おり、予備回線も不調。

 

その為、事故にあった航空機が向かう先の

空港との連絡が上手く行かず、飛行機が遅延

していた事が伝えられていなかった為

両機が急接近してしまっていた。

 

そして、管制室のトラブルのみならず

人の思い込みで起きるヒューマンエラーも

重なる。

 

二機の航空機、2937便と611便は

両方とも衝突回避装置を装備している

機体であり、事故当時、それら

に不具合はなく正常に作動していた。

 

衝突を避ける為に衝突回避装置は

2937便には上昇の指示を、611便には下降の

指示を出していたのだが、この時管制室から

は上昇の指示が回避装置によって与えられて

いた2937便に対して下降の指示を出していた

 

そして、回避装置に下降の指示を出された

611便はそのまま従い、管制室から下降の

指示を出された2937便もまた、回避装置の

上昇の指示を無視して下降をしたため、

両機の高度が重なり衝突してしまった。

 

この時、衝突回避装置の指示に従った611便は

その旨を管制室に連絡を試みるが混線の為に

失敗。

 

管制室は611便が管制承認高度である

36000ftをそのまま飛行してい

ると信じ込み、2937便へ下降の指示

出していたのだった。

 

当時は衝突回避装置の指示と管制室の優先度

についての決まりがなく、この事故以降は

回避装置の判断を優先するように決められた

経緯もある。

 

このように、機械的なミスと人の思い込みが

重なりおこった事故であった。

 

この事故を起因として起きた悲しい事件が

次に紹介するこの事故当時の管制官である

ピーター・ニールセン管制官殺害事件である。

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ピーター・ニールセン管制官殺害事件の犯人は事故被害家族のヴィタリー(ビタリー)カロエフ

 

この事故の後、妻と子を失った男性がいる。

冒頭のアンビリバボーの予告で少し説明され

ていた、家族の乗った飛行機を待つ男性。

 

彼の名前はヴィタリー(ビタリー)カロエフ

職業は当時建築士だった。

 

事故の影響で神経衰弱を患う程に

打ちのめされたヴィタリーは事故後、

 

家族の墓の近くに住み、慰霊の為の

祭壇を自宅に作っており、その悲しみの

深さは計り知れなかった。

 

そして家族の死から一年たち、慰霊一周年

の機に、事故当時の管制を行っていた

 

スカイガイド社の長にその当時の管制官への

面会を申し出たのだが、スカイガイドからは

何の反応もなかった。

 

そこでヴィタリーは民間の捜査機関をつかい

該当の管制官の住所を調べ上げ彼の元へ

足を運んだ。

 

管制官の名前はピーター・ニールセン

彼の行動がヴィタリーを最悪の行動へと

誘ったのだった。

 

ピーターの家についたヴィタリーは

彼の庭に入りました。

 

ピーターはヴィタリーを見ると

目的を尋ねます。

 

ヴィタリーは事故についてピーターが

どう思っているのか聞きたいだけだった。

謝罪の言葉が欲しかったのだ。

 

ヴィタリーは自分の家族の写真を見せ

『彼らは私の子供です』といった。

 

その時、ピーターはその写真を

払いのけるように写真を持った

ヴィタリーの手を打った

 

次の瞬間、ヴィタリーは持っていた

ナイフで複数回ピーターを刺突。

 

その怪我が元で絶命してしまう。

当時、家の中にはピーターの

家族もおり、彼の子供もまた

その場にいた。

 

ヴィタリーはピーターの態度が許せなかった

もし、その時家に招き入れ、謝罪していれば

そのような事は起こらなかったかもしれない。

 

後にヴィタリーは次のようにコメントしている。

 もし彼が私を家の中に招待してくれたら、会話はもっと柔らかいトーンで起こったでしょうし、悲劇は起こらなかったかもしれません。

もっとも、なぜナイフをもっていたのか

の説明は何処にもされていない。

 

次のページからはヴィタリーカロエフの現在や経歴について

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